【座談会】飛騨から文明をつくる ? ! 地域からはじまる新しい共創(学長候補・宮田裕章氏×理事会×水野学氏 )
2024年開学を目指す飛騨高山大学(仮称)の学長候補である宮田裕章氏と、大学をともにつくり上げている理事会メンバーとの座談会を行いました。なぜ飛騨に大学をつくるのか、どのような学びを通じて新しい社会を共創しようとしているのか。壮大なビジョンの一端を覗いてみてください。
大学は利害関係を超える共創できる場所
井上代表理事(以下井上) 宮田さんに学長候補をご相談させていただきたいと感じた背景には、宮田さんの書籍を読んだときに、「新しい社会像をつくる」「文明をつくりたい」という強い意思を感じたからです。本校設置予定地の岐阜県飛騨市は人口減少・課題先進地であり、今後の地域の未来を映しています。一人一人が輝く新しい社会像(文明の発祥地)という考え方が持ち込まれると、この土地から凄いことが起きるんじゃないかと直感的に思いました。
宮田裕章(以下宮田) 私の目標として「文明をつくりたい」というのがあるんですが、文明ってどう考えても一人じゃつくれないじゃないですか(笑)。それに今まで「文明」というものは結果論としてできたものでした。そろそろ我々の意思で意図的につくり出す文明があってもいいんじゃないか、それがどういう人たちと一緒にできるかなと考えたときに、今回すばらしい人たちと出会えて良かったなと思っています。飛騨高山大学(仮称)の話を伺ったとき、「これは新しい時代をつくれるんじゃないか!」とも感じました。ただ、熱量が必要な言葉なので、テンションが上がったときにしか「文明」のことは言わないんですよ。普段言ったら「どうした?」って顔されるので(笑)。
一同 (笑)
川戸理事(以下川戸) 改めてお聞きしたいのですが、井上さんはなぜ飛騨に大学をつくろうと思ったのですか?
井上 高校時代から、生まれ育ったこの地域にぼやっとですが大学があるべきでは、そしてつくりたいなと思っていました。実は初めは大学設立のために政治家になろうと考えていたんですが、政治家の道を垣間見る中で、手段として政治家ではないと感じるようになりました。
そんな中、理論と実践を往復すべきとの大学の先生の教えもあり、ビジネスをしながら学生生活を送るうちに、大学という場所は利害関係を超えて共創できる場所だと感じるようにもなりました。普通の地域の場づくりでは利害関係でしかなかなか動かない側面をよく見ます。それらの経験からも、「教育を通じて地域は変わっていくのではないか」「地域で教育をしたい」という思いが「つくりたい」から「つくろう!」に変わりました。
水野学(以下水野) 私は文明と文化が密接な関係にあると考えていて、文明は文化を引き連れていくときに興隆するんですよね。宮田さんや井上さんのお話を伺っていて、文化も一緒につくることができると良いんじゃないかなと思いますし、すでに内包されているとも感じています。宮田さんのおっしゃる文明には、文化が背景にある。飛騨高山という地域ととても合致しますよね。だからこそ、飛騨高山大学(仮称)の取り組みは魅力的だと思います。
大学に関してもう一つ、「アカデミック」という言葉があまり良い使われ方をしない世の中になってしまったと感じていて、それはすごく悲しいことだと思います。「フィロソフィー(哲学)」は「知を愛する」が語源になっていますが、哲学を持ってアカデミックに生きていくことはすばらしいことなのに、一部の教育機関では「入学すればいい」「卒業すればいい」というような状況になってしまっているのはもったいないとも感じます。
宮田 確かに日本の衰退の一因として、大学がずっと高校4年生のような、モラトリアムの延長になっている現状が挙げられます。入学というステータスがあって、4年間の学びが考慮されていません。昔はそれで良かったかもしれませんが、この4年間をもっと学生の可能性を伸ばす形にできれば、日本の可能性ももっと開いていくと思います。だからこそ、大学教育にはまだまだ可能性があるんじゃないかなという気がします。
経済・工学・芸術の学問領域は、地域にどのような価値をもたらすのか
井上 学べる領域として構想しているのは、経済・工学(まちづくりやデータサイエンス等)・芸術などです。これらの学問領域が持つ意味合いや、地域にとってどんな影響や価値をもたらしていくのか、改めて宮田さんにお聞きしたいです。
宮田 新しい社会をつくることを考えたときに、カテゴライズはあれど基本的にはどの学問も混ざり合っているんですよね。これまで経済は狭義の学問でしたが、そうではなく、持続可能な未来をどうつくっていくのか、それをデザインする中で人々がともに集いながら経済を回していくための仕組みづくりが経済です。そこに集った人たちの繋がりをアートでデザインすることでさまざまなコミュニティが生まれてきます。
そして、テクノロジーを扱う工学は多層的なコミュニティを繋ぐフィジカルな場を創造していくものです。それぞれが不可分に連携していくと考えています。ジャンルは色々あるんですけれども、学ぶ側は全部学ばないとこれからはサバイブできないですよね。だからこそ、開学時から3つの軸が一体となった教育をすることが大事になります。時代の変化の中で新しい分野をさらにつくっても良いと思います。
鈴木理事 個人的に、経済学というと資本主義や経済合理性、貨幣経済のような印象があります。飛騨高山大学で学ぶ経済は持続可能な未来の仕組みづくりといった、これまでとは違うイメージで伝えていけるといいですよね。
宮田 確かにそうですね。
水野 先ほど経済を回していくための人の繋がりをアートでデザインしていくという話がありましたが、アートに対する日本人の感覚はずれていると感じることがあって、そこが最近気になっています。もともとアートはものづくり全般を指していました。例えば、宗教画は宗教を広めるためなど、機能を持ってつくられていたんですね。美術館に飾られるためにつくるという考え方はなかったわけです。装飾的なことをデザインと捉えがちですが、実はそうではなくて機能と装飾に分類できます。
アートはテクノロジー・サイエンス・経済などと渾然一体となって世の中に存在するべきですが、実際は切り離されている。今の時代は“STEAM教育”(※)のように、アートが経済をドライブしていく上で、飾りとしてのアートでなく、機能としてのアートが必要とされてきています。
※STEAM教育とは、科学(Science)、技術(Technology)、工学(Engineering)、アート(Art)、数学(Mathematics)の5つの領域を対象に、分野を横断的に学ぶ教育理念。
宮田 飛騨の匠はまさにアートですよね。
水野 そうですね。工芸というと“職人”というイメージですが、自然と人がつくり出すという意味でとてもサステナブルなアートなんですよ。だからこの飛騨高山の地で、機能としてのアートができるということに意味があると感じます。
川戸 また別の視点で、最後に一言。普段自然エネルギーの仕事をしていて感じるんですが、風力発電事業に頭では賛成してくれていても、近くに風車が立って音がうるさいと感情的に受け入れられないということがあります。その際に、合理的に説明をして反対する理由をなくすというアクションではなく、好きになってもらうというアプローチが必要になります。風力発電であれば、「夕日に照らされた風車がある景色はとても美しいですよね」というアプローチが考えられます。
頭だけで考えるのではなく、「わくわく」「好き」と言う気持ちがあって始めて変化に対応できるようになるのかなと感じます。そういったことを発信する場としても、飛騨高山大学(仮称)が一つの象徴になればいいなと思います。